自転車に優しい都市作りの本「世界に学ぶ自転車都市のつくりかた」を読みました
本書を読んだきっかけ
X(旧Twitter)で、日本にはサイクリングカルチャーが無いと言ったら軽く炎上してしまった笑
文字数制限のある中、サイクリングカルチャーなどというあいまいな表現をするんじゃなかったな、と反省した。と、自分で言っておきながらあれだけど、”サイクリングカルチャー”って一体何?
良く考えるとサイクリングの周辺情報に無知だ。文化、歴史、産業構造、道路行政や法規…何も知らない。もっと自転車文化を深く理解したいと思い、手に取ったのが本書
書籍情報
タイトル:世界に学ぶ自転車都市のつくりかた: 人と暮らしが中心のまちとみちのデザイン
著:宮田 浩介 (著, 編集), 早川 洋平 (著), 南村 多津恵 (著), 小畑 和香子 (著)
発行:学芸出版社
発売日 : 2023/11/8
まえがき
第1部 世界の先進/新興自転車都市
1章 コペンハーゲン 世界の日常自転車ルネッサンスを刺激する街 ――(宮田浩介)
ニーズ 自転車が暮らしに溶け込んだ「ライフ・サイズの街」
デザイン デザイン思考=ユーザー目線の「バイシクル・アーバニズム」
都市戦略 たゆみなき自転車環境整備は民主的な都市のため2章 オランダ 世界一子どもが幸せな「自転車の国」の設計図 ――(宮田浩介・早川洋平)
ニーズ 利用度ナンバー1の国の「ママチャリ」文化
デザイン 圧倒的に安全快適なインフラの充実と洗練
都市戦略 「人の造った国」オランダと自転車の半世紀3章 ニューヨーク 闘う交通局長がリードした北米のストリート革命 ――(宮田浩介)
ニーズ アメリカ随一の都市が求めていた脱・車中心の街路
デザイン 戦略とデータで街路を変えたサディク=カーン交通局長
都市戦略 北米各地で進む、人のためのストリートの復権4章 ロンドン 自転車を広め、そして忘れた国の日常利用再興 ――(宮田浩介)
ニーズ 漱石に「自転車日記」を書かせた街の今
デザイン 自転車の都への回帰というパズルの様々なピース
都市戦略 健やかな発展のための全国的「アクティブ交通」推進5章 パリ 自転車メトロポリスを現実にする市長のリーダーシップ ――(小畑和香子)
ニーズ 自由が乱れ咲く都の交通空間格差
デザイン 強きを抑え平等をもたらす街路再編の本気度
都市戦略 コンパクトでみなにやさしい光の街のビジョン6章 ドイツ 車依存からの脱却を! 市民が先導するモビリティシフト ――(小畑和香子)
ニーズ 道と未来を車から取り戻す鍵としての自転車
デザイン 車中心から人中心へ、自転車インフラ刷新は進行の途上
都市戦略 「自転車の国」の夢を語る車大国の現在地第2部 日本の自転車政策――現状と展望
7章 滋賀 市民発の、ツーリズムによる自転車まちづくりの展開 ――(南村多津恵)
ニーズ 環境保護アクションとして始まった湖国の自転車まちづくり
デザイン 市民による草の根のサイクルツーリズム整備
都市戦略:自転車まちづくりは市民と行政のチームワークで8章 日本<総論> 今よりもっと自転車が選ばれる社会へ ――(宮田浩介・早川洋平)
ニーズ 顧みられてこなかった豊かな日常自転車文化
デザイン ユーザー目線が抜け落ちた日本の自転車インフラ
都市戦略 日本のまち×自転車の未来をめぐる5つのポイント9章 設計カタログ 世界品質の自転車通行空間デザイン ――(早川洋平)
あとがき
自転車を活かした都市作りに関する本だ 。世界の都市を例題に、街づくりの例が掲載されている
本書の想定読者
本書の想定読者は、行政関係者や学生、コンサルタントなどだと著者の宮田氏はBCのポッドキャストで述べている
私は市井のサイクリストで想定読者ではないのだが、サイクリスト目線で読んだ感想を残しておきたい
自転車諸都市の先進的な取り組み
本書では、世界各地の自転車交通促進の取り組みが紹介されている。特に、第一章のコペンハーゲン(デンマーク)と第二章のオランダの事例は、世界的な成功例。読んでみると、両国の取り組みはなるほど他を圧倒している
詳細は本書に譲るとして、両国の道路行政の根底には「自動車交通を抑制して自転車を優遇する」という思想があるようだ。たとえば、都市中心部での車の進入禁止エリアの設定や、自動車に対して低い制限速度を課すなど。ラジカルだ…(ラジカルというか、自動車が産業材をなるべく効率的に運べるように都市を作るのか、都市利用者すべてが安全に過ごせるように都市を作るのか、という思想なのかの違いかな)
都市設計カタログは必見
第九章では、具体的にどのように街作りがなされているか詳細に述べられており、実際の事例に関するインデックスも多く、非常に参考になる。
例えば、日本の自転車レーンは、車道上に自転車マークをしるした混合道路が一般的だが、海外では「プロテクテッド・バイク・レーン」と呼ばれる、車道と自転車レーンを、ポールやブロックなどで物理的に切り離すことが推奨されている
なるほど!物理で切り離すのか!
X(旧Twitter)でサイクリングと都市の問題について話題になると、すぐに「マナーの問題だ!」や「法の解釈ではこうだ!」という声が上がるけど、物理的な境界を設けることで、歩行者/自転車/自動車のコンフリクトが起こらないような都市作りをするという考え方、言われてみれば当然のこと。都市作りってこうやるんだね
ドイツ(たぶん日本も)の苦悩
本書では、光だけでなく影の部分も紹介している。第六章のドイツの事例では、自転車交通へのシフトが進んでいない現状が明らかになっている。
その理由は明確には書かれていないが、同国の産業構造が影響していそう。ドイツは自動車産業が非常に巨大で、オランダのように「自動車交通を制約してでも自転車を優先する」政策は、受け入れがたいのかもしれない
なぜ本書が自転車先進国ではないドイツをわざわざ取り上げたのか。日本も同じ状況であることを示唆している、と私は感じた。日本もまた、自動車産業が非常に大きく、自動車関連の仕事に従事している人も多い
また、自動車は強い身体拡張能力と特権性を有している。自国産業の象徴である自動車に乗る行為は、マチズモとナショナリズムが容易に結合する(簡単に言うと「イキってしまう」)。日本人の多くは「自動車交通を制約してでも自転車を優先する」政策には強い反感を持つのではないか
自転車はヨーロッパのレガシー
ここで本書を離れて、1月に開催された「ハンドメイドバイシクル展」での栗村修氏のトークの様子を紹介したい。ちょっと長いのだが本書ともかかわる内容と思ったので引用します
ハンドメイドバイシクル展の1/21の吉本司氏(ジャーナリスト、元サイスポ編集長)×栗村修さん(じてんしゃおじさん)のトークショー、テーマ「これからの日本の趣味としての自転車スポーツについて語る」の後編の内容を書きまする。 (ゆるポタ詐欺みたいなペースですいません)
栗村さん「海外で自転車はスポーツとしての土台ができているが、それ以上に自転車という乗り物が「車両」として存在、人々に意識が共有されている。」
栗村さん「日本で自転車は「歩行者の延長」で乗ってるし、道交法を知らない人もいるし、生活の移動手段として使う人もいるので日本全体の自転車乗りという観点からだと価値観が多岐。 海外では自転車はどこをどうやって走るのかを、車の運転手、歩行者も共通の認識を持っている。」
栗村さん「例えばオランダで自転車道を歩行者を歩いていると皆からめっちゃ怒られる。日本では自転車道に車は駐車してる、日本でも歩行者と自転車が分離してる道があるが、自転車用の道を歩行者は普通に歩いている、 ということで日本と海外では自転車というものの認識が全く違っている。」
栗村さん「欧州では「自転車は車両の一部である」という意識が共有されている上で、スポーツバイクを楽しむ、移動用として利用するなど使い方は日本と同じく多岐ではあるが共有意識がベースとなり、乗り物としての自転車の価値はしっかりしている。」
栗村さん「日本でも自転車に対する反則金制度が将来施行されるが、これは「自転車は軽車両である」というメッセージで、自転車の大きな転換期が来てると感じる。私自身、初期は混乱あると思うが自転車の反則金制度導入はポジティブで、これが欧州のような自転車文化の土台作りになると思う。」
栗村さん「また趣味の多様化、自転車を趣味とする新規に入ってくる人たちが安全に乗るということが、もしかすると自転車の反則金制度が始まることできちんと共通認識が生まれる起爆剤になるのでは思っている。」
吉本さん「どの分野でも「安全」じゃないものは発展しないと思っている。安全が担保されているから楽しめると思うが、自転車は今その観点からでいうと「グレーゾーン」である。」
栗村さん「自転車って免許が必要ないので、免許がある車に比べると道交法の理解は弱い。欧州では学校で教育、自転車の価値観がきちんとしてるので親が子、友達同士が教える、など自転車についての教育方法ができあがっている。」
栗村さん「日本は自転車についての教育が欧州と比較すると遅れているので、たとえば自転車普及協会が教育に力を入れるなどしているが、そこに来る人達は既に意識が高いので、そもそも逆走する人、信号守らない人はまず来ない苦笑。反則金制度と同じくらい重要なことは「教育」そして体系化である。」
後略
「ヨーロッパでは自転車が車両と認識されている」という指摘は重要で、これは19世紀の産業革命時にヨーロッパで自転車が主要な交通手段としての役割を果たした名残と考えられる。19世紀当時、ヨーロッパで自転車に関するインフラや流通網が整備され、親から子へ自転車の乗り方を教えるという文化が形成された(自転車運転の習熟に時間が掛かることを想起されたい)。これらの影響は今も強く残っている。ヨーロッパのいくつかの国では、自転車を車両と捉える文化が根強く、それが自転車を優遇する行政施策の受け入れを容易にしているのではないだろうか
一方日本では、ヨーロッパより少し遅れて近代化を果たしたしたこともあり、このような自転車文化醸成が無く、自転車優遇を難しくしているのではないだろうか
単純な輸入は難しいのでは
本書を読んで、日本を自転車に優しい国に変えてゆくの、難しいのではないかと感じた
第六章のドイツの事例、日本がドイツと同じく自動車産業大国であること、そしてヨーロッパで自転車が車両として認識される文化的背景、などを考慮すると、これらを単純に日本に導入するのはハードルが高そう。
- 自転車が車両と認識されていること
- 自動車が自国主要産業ではないこと
- 自転車流通/教育のインフラが整っていること
の3点がそろってはじめて自転車に優しい道路行政が実現するのかもしれない
あと、うまく言えないが、本書には「出羽守」的な雰囲気が感じられる。オランダやアムステルダムの事例が果たして世界的な道路行政のメインストリームなのか…
日本ではむしろ、パーソナルモビリティとして自転車以外の移動手段が主役になる可能性を探求するのも手ではないか。例えば、評判は悪いがLUUPとかの電動モビリティ。課題は多いが、省スペースだし、脚力が無くても坂を上れるし、レンタルというスタイルは資源効率も良い
それにそっちの方が攻殻機動隊を生んだ国っぽくない?笑
出羽守的性質を加味したとしても、日本語の書籍としてこういった取り組みを紹介していただけるのは非常にありがたい。本書が優れた内容を持っていることには疑いの余地がなく、多くの人に手に取ってほしい一冊だ
【ここから余談】
クリティカルマス:政治的アクティビティ
道路行政を、自転車を含めた交通弱者に優しいものにシフトしていくこと、言うは易く行うは難しで、実際にはかなり大きな痛みを伴う”変革”と言える。本書によると、80年代のオランダでは、自動車を優遇する行政に対してかなり強い抗議活動が行われたようだ
現代でも、サイクリストの政治的アクティビティとして、クリティカルマスがある
ひるがえって日本ではこの手のアクティビティはあまり盛んではない。むしろ冷笑の対象になっているとさえ感じる。クリティカルマスに対して「チャリンカスの暴走行為やんけ」という声が自転車乗りの間からも上がるの、なかなか根深い。こういう批判はある種の奴隷の鎖自慢のようにも見えるが…
なぜオランダやアムステルダムではそのようなアクティビティが起き、日本では起きなかったのか。もはやこうなると政治とか国民性の話になるが…
自転車事故の8割は自動車との接触によるもので、年間10万人が怪我をし、500名以上の方が亡くなっている。なぜだ!それは道路行政が悪いからだ!
と大声で言えない雰囲気、日本にはある
なぜなのだろうか?
日本でサイクリストの地位向上のためにできること、どんなことがあるんですかね?
サイクリングカルチャーとコミュニティ
この本を読む発端となった「日本にサイクリングカルチャーが無い」と言ったことは訂正したい
しかし、サイクリングの扱いが日本で悪いのは事実だし、サイクリングの地位向上に寄与するような動きは無いか、あるいは鈍いのも事実
何かほかに日本的なアクティビティが必要な気がする(そしてそれはクリティカルマスではないような気がする)
たとえば、日本には草の根のサイクリングコミュニティがもっとあっても良いと思う。日本のサイクリスト、良くも悪くもソロ志向が強く、横のつながりが薄い。サイクリングコミュニティというと、ロードバイクのガチレースチームを想像する人が多いだろう。あの体育会系ノリを嫌がるサイクリストは多いのだろう。
ただ一方で、コンペティションから離れた、コミュニケーションを主眼にしたコミュニティにもニーズがあるんじゃないだろうか
また、スポーツサイクリストと一般的なママチャリユーザーに断絶があるように見える。ここの垣根を取り払うことも重要ではないか。ここを埋めるためにも、ローカルで緩いコミュニティがあると良いなと思う
この辺もう少し整理して、サイクリングコミュニティに関する薄い本をC104で出したいなと考えている
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