SPDペダル開発物語

MTB

新型デュラエースの発表(2021年9月1日)で世間は大いに盛り上がっている。無線変速と12速化という大きなアップデートを行い、SRAMに押され気味のシマノ陣営盛り返しの切り札になりそうだ。
既に、重量、互換性、価格、レビュー等が大量に上がっている。そこはプロにお任せして、私はシマノの別のプロダクトに関する文章を紹介しようと思う。ちょっと長いがお付き合いいただきたい。

少し前のCyclingtipsの記事
cyclingtips.com

【抄訳】

世界で最も信頼できるペダル、Shimano pd-m520へのオマージュ
世界で最も売れているクリップレスペダルの長きに渡る物語と、その発明者を探すための物語

先週、グラベルを走って泥だらけになった自転車を洗っていたとき。ホースの水流がペダルに当たると、ペダルは勢いよく回転し、水滴が優雅な放物線を描いて飛び散りました。疲れて頭がぼーっとしていた私は、汚れたままのペダルを見ながら、静かで実用的な美しさを感じたのを覚えています。

現在、私の自転車に取り付けられているシマノのPD-M520は、少なくとも10年以上前のもので、ペダル本体の黒い塗装は、シューズの踏み面に擦れて滑らかな銀色になり、エンドは転倒によって傷がついています。このペダルは、ノルウェーの地元情報サイトで老人から2,500クローネで購入した、愛着のある古いキャノンデールを経由して私の元に届きました。それ以来、地球の反対まで、3台の自転車に取り付けられ、楽しいライドや悲しいライド、ロングライドやチョイ乗りなど、何千キロも走ってきました。嬉しいことも悲しいことも、長いことも短いこともありましたが、これまでこのペダルをあまり気にしたことはありませんでした。

しかし、先週のある日、私はこれらのペダルが行ったことのある場所と、そのペダルが小さくない信頼を担ってきた思い出を思い浮かべました。ペダルの脱着ひとつひとつを。ペダルのスピンドルに刻まれた特許番号を見つけて調べてみると、シマノのSPDペダルには一人の設計者がいて、その設計者の名前が田中俊之氏であることがわかりました。ググってみると、同姓同名の馬術選手や物理学の学者がヒットするが、いずれも現代のSPDペダルの発明者ではないようです。

というわけで、わかっていることは以下の通り。

SPDの発明

今から20数年前、大阪堺市の工場で働いていた田中俊之氏は、「もっといい自転車のペダルはないか」と考えていた。2000年も終わりに近づいた12月29日、田中の勤務先であるシマノが米国特許6,446,529 B1を申請した。「ペダルシャフト、ペダルボディ、第1および第2のクランプ部材、第1のバイアス部材を含む自転車用ペダル」という、特許特有の難解表現です。つまり、皆さんに馴染みのある言葉で言えば、田中俊之氏は現在のSPDペダルを発明したのです。

自転車業界では、シマノのような定評のある企業であっても、すべての製品がヒットするわけではないが、シマノは多数のヒットを生んできました。シマノは創業から99年の間に、たった1つのフリーホイールのメーカーから自転車業界のトップ企業へと成長し、その過程で自転車のDNAともいえる数々のアイテムを生み出してきました。

セクシーなイタリア語の名前や巧妙なマーケティングを抜きにしても、それらの製品や革新的な技術が自転車競技の用語として定着しているのは、シマノの飽くなき機能性と汎用性のおかげです。その代わりに、ロボットの秘密の暗号のように世界中の数多くのサイクリストの心に刻み込まれているのが、シマノの頭文字と数字です。「STI」「6800」「Di2」「SPD」。

STI、6800、Di2、SPD。シマノの数あるイノベーションの中でも、「シマノ・ペダリング・ダイナミクス」の頭文字をとった最後の数字が、最も人口に膾炙していると言えるでしょう。

田中氏のデザインは、シマノの最初のデザインを目に見えて進化させたものだが、同時に大きな飛躍でもありました。スピンドルの上ではなく、スピンドルの周りに機構を集約することで、スタックハイトが低くなり、ビンディング周りの設計がよりオープンになるという2つのメリットを持っています。併せて、軽量化、小型化、ペダルストライク(スネペ)のリスクの低減、そして美観の向上も実現しました。

このデザインの良さを最も顕著に示しているのは、シマノが未だに改良の必要性を感じていないという事実でしょう。田中が設計したSPDペダルは、20年経った今でも基本的には変わっていません。

今でこそSPDペダルはどこにでもあるものですが、実はそうではありませんでした。シマノが初めてMTB用の両踏みクリップレスペダルを発売したのは1990年のこと。「PD-M737」は、現在の製品に似た、ギュッと暗い塊のようなものでした。2000年に田中の
設計と同様、M737はデュアルサイド・スプリング式で、ソールに埋め込まれた同じクリートを使用していました。

しかし、M737とその子孫たちは、M515のように改良を加えながらも、機能的には素晴らしいものでしたが、欠点もありました。マッドコンディションでは、クリートが入るプラットフォームには泥が逃げる余地がなく、クランプ金具とスピンドルが扁平な芯に金属製の足場のように密集していました。

2002年9月には、米国特許6,446,529 B1が取得され、トップエンドの「PD-M959」が誕生しました。2004年には、この新しいデザインがシマノの製品群に浸透し、もうひとつの有名な製品が誕生したのである。それが、シマノの代表的なエントリーペダル「PD-M520」です。

働き者のペダル

サイクリストは気まぐれな人が多く、最新の派手な製品に夢中になるものです。しかし、主要製品が注目を集めても、多くの人がそれに乗っているわけではありません。ブランドの主力製品は、最高で高価だからではなく、完璧で適切な価格だからこそ、数多く出回っているのです。

M520は、そんなシマノ製品の中でも派手さのないヒーローです。上位モデルと比較すると少し重いですが、XTレベルのペダルと比較すると38gの差で、それほどでもありません。プラットフォームの安定性はそれほど高くなく、ベアリングやスピンドルもそれほど豪華ではありませんが、機能的にはほぼ同じです。

PD-M520のフォルムは、SHIMANOの文字が書かれた四角いエンド、クランクにつながる丸いペダルスピンドル、クリートの爪先を受け止めるシンプルで独創的なスチール製の円弧など、象徴的なものです。ペダル本体の大部分は不活性化されていますが、奥にはメカニズムが隠されています。2つの小さなスプリングが左右に5回ずつ巻かれており、その周りにペダル本体がヒンジで取り付けられています。ペダルを踏み込むには「カチッ」と音がします。降りるときは、横にひねるだけ。

この20年の間に、世界のほぼすべての国で、田中俊之氏がデザインしたSPDペダルを使って、毎日何百万回もこの動作が行われてきたのです。

この記事のためにシマノは販売データの提供を拒みましたが、このペダルが世界中で何百万組も存在していることは間違いなく、史上最も売れているクリップレスペダルであることは想像に難くありません。

この10年間、M520はマウンテンバイクのOEM(相手先ブランドによる製品供給)モデルとして、数え切れないほどの数が採用されてきました。現在でもシマノのSPDペダルの中では最も安価であり、多くのライダーにクリップレスペダルを使うという通過儀礼を教えてきました。奇妙なことに、オーストラリアでは通販の抜け道を利用して、交換用のクリートを買うよりもM520ペダル(クリート付き)を買った方が安かったこともあったといいます。

基本的なデザインと同様に、M520の長寿命はその遺産であり、17年間にわたってシマノの製品の中で変更されていません。そして、ほとんど壊れることがないので、PD-M520のほとんどのペアは、私のペダルを含めて、長く充実した生活を送っています。

話は変わって、先週の話に戻ります。

話の結びに

理想の世界線では、ここで私が田中氏にメールを送り、翻訳者の助けを借りて少しのやりとりをした後、田中氏は私の質問に答えてくれます。シマノPD-M520のような永続的な製品を発明することで、どのような個人的な満足感を得られるのか、このデザインにたどり着くまでに何度も繰り返したのか、形と機能が完璧に調和したこの製品は何年経っても変わらないのか、など、と。そして、田中は堺の机に戻って、黙々と完璧に近いものを作っていきつづけるのです。

残念ながら、シマノと田中氏はこの記事に関するコメントを拒否したので、そこまでは言えません。これには最初違和感を覚えましたが、今では別の理解をしています。

つまり、SPDペダルとその最下位モデルであるPD-M520は、静かな達成者であり、脚光や称賛を望まず、ただひたすら仕事をこなす製品なのだ。人ではなく製品にこそ、作り手の大切な何かがあるのかもしれません。

シマノのプロダクトに関して言えば、開発に関わった個人名が取り上げられることはあまりない。どちらかというと顔の見えない寡黙な職人集団、というのがシマノの印象だ。海外のメーカーと比べると合議による意思決定を重視する日本企業の「らしさ」が表れているとも言える。この記事のように個人名が出るのはかなりレアではないだろうか。

いわゆるプロダクトマネージャーやチーフエンジニアがインタビュー等で出てくることはよくある。有名なのはピーター・デンク氏だろうか。世界的には個人名が滅多に出ないシマノの方がどちらかというと珍しいと言えるだろう。
denk-engineering.de

 

開発者のインタビュー記事はけしてレアなものではない。

 

ジャイアントのニクソン・ファン氏
www.cyclowired.jp

トレックのジム・コールグローブ氏
www.cyclowired.jp

スペシャライズドのクリス・ユー氏
roadbikebb.blog.fc2.com

スラムのJP・マッカーシー氏
www.cyclowired.jp

 

当たり前だが、こういう人たちは転職してステップアップしていくキャリアプランなため、こうやって顔を出して自分が関わったプロダクトを紹介(自慢?)することに対して、インセンティブが働いている。シマノに限らず日本の製造業のエンジニアは、ずっとその会社で働くことが前提なので、そんなインセンティブが働かない。その違いは非常に大きいだろう。

話がそれた。

 

記事中では米国の特許NO.が記載されていたが、日本国内の特許についても調べてみた。日本では2件、田中氏がかかわった特許が出願されているようだ。

特許①
【公開番号】特開2002-205680(P2002-205680A)
【公開日】平成14年7月23日(2002.7.23)
【発明の名称】自転車用ペダル
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上記cyclingtipsの記事にもある、SPDペダルに関するものだろう。米国特許6,446,529 B1の公開日が2002年9月と記事中にあり、タイミング的にも同じ内容と考えて良さそう。
www.j-platpat.inpit.go.jp

特許②
【公開番号】特開平8-239076
【公開日】平成8年(1996)9月17日
【発明の名称】自転車用ブレーキ装置
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これは90年代に一世を風靡したパラレルリンク式Vブレーキ。通常、ブレーキシューは固定された箇所を中心に円弧を描くように動くため、リムに対して平行に当たるポイントが限られる。パラレルリンク式ブレーキは、リンク構造を使ってシューがリム面に対して平行を保つように動くようになっていて、制動力とタッチの良さを向上させている。現在はディスクブレーキが普及し、ここまでコストを掛けてリムブレーキを作る理由がなく、ある種のロストテクノロジーとも言える。
www.j-platpat.inpit.go.jp

 

ブレーキはディスコンとなったが、PD-M520はまだ現役。流通価格は4000円くらい*1。自分も当然持ってるし、チームメイトもみんな持っている。バリエーションモデルを含め、このペダルにお世話にならなかったMTBerは一人もいないだろう。

もちろんこのペダルシリーズの凄さは、こんな性能の良いペダルがたった数千円で世界中で買えてしまうというシマノの製造/流通能力にもある。とはいえ開発に携わった氏の功績が色あせることもないだろう。間違いなくMTBの世界を変えたレジェンドの一人だ。

やはりCyclingtipsの記事が書いているように、田中氏が自転車界に与えたインパクトは絶大だ。ゲームで例えるなら、カービィの桜井氏やMGSの小島氏、オウガバトルシリーズの松野氏、工業デザインならミハイル・カラシニコフ氏やジョン・ブローニング氏(チョイスが偏ってるw)と並び称されてもおかしくないのではないだろうか?

Cyclingtipsの記事に触れるまで、私は田中氏のことを存じ上げていなかった。氏のことを知っているという人はかなり限られているんじゃないだろうか?新型デュラエースのようなトレンド最先端の機器について設計者の顔を出すというのは色々と憚られる(引き抜きや産業スパイ等)のではと思うのだが、田中氏のようなレジェンドエンジニアをもっと世に知らしめる動きがあっても良いのではないかと思う。

前述の通り、シマノのエンジニアには顔を出すインセンティブがほとんど無い。記事を書いたIAIN TRELOAR氏が違和感を感じたのはおそらくそこを理解していないためだろう。大きなリソースを自由に使えることがイノベーティブなプロダクトを生み出すこともあるだろうし、独立したり転籍することで裁量の大きな仕事をすることがイノベーションに繋がることもある。どちらが正しいというわけではないのだが、どちらもあった方が良いのではないだろうか。

…そういえば、元メーカーの方がカーボンホイールを作った例があったような(ゲフンゲフン)

【閑話】
1.SPDペダルのパテントはLOOKがオリジナルじゃないのかな?他社は特許料を支払っていると思っていたのだが…。うーん、知財関係は良く分からないな。
2.はじめこのエントリーのタイトルを「SPDペダルの開発者田中俊之氏とはだれ?」で考えていたのだがやめた。Cyclingtipsの記事にもコメントを出してないわけだし迷惑だろう。

*1:前はもっと安かったよね?

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