【書籍】ロードレーサーハンドブック 市川雅敏の走りのテクニック

日本のサイクリングシーンがコンペティションに偏るようになったのはいつごろか?という疑問を探るべく旧い書籍に当たってるシリーズです

今回はロードレース関連書籍ということで見つけた一冊。神奈川県立図書館の蔵書でロードレースの本はこれが2番目に古いのではないかと思う

書籍名 自転車 ロードレーサーハンドブック
発行年 1988525
編集 企画室 フュー
出版 新星出版社
定価 1200

ちなみに一番古いのは1980年に出版された「ロ-ドレ-スの走法」で、これは別途取り上げる予定

内容

本書「ロードレーサーハンドブック 市川雅敏の走りのテクニック」の内容なんですが、まぁなんというか、ぺらい企画もの()薄い内容にタイアップっぽい特集ページ。誰がこの企画通したんや?!

巻末に新星出版社 スポーツシリーズとして同一シリーズの本が紹介されているんですが

  • バイク オフロードライディング
  • 写真でわかる ポケットビリヤード
  • 写真と絵でみる はじめてのテニス
  • 写真と絵でみる はじめてのゴルフ
  • スケートボードテクニック
  • 写真でわかる スキンダイビング
  • ボートセーリング
  • アウトドアライフハンドブック 

あー、レジャースポーツ初心者(なんなら初心者以前)をターゲットにしたハウトゥ本のひとつなのね。

表紙にジロデイタリアを日本人ではじめて走った市川雅敏氏の名前が載ってはいますが、該当の部分は全190Pのうちわずか34Pだけ。内容もぺらっぺらでイタリアではこういう食事を摂ってるよ、とかトレーニングはこんな感じでやろう、みたいな…氏へのインタビューか何かを再編集したんじゃないかな。残りはいわゆるカタログ的なあれ、非常にしょぼい。若者向けのハウトゥー企画本臭がヒシヒシとします

だいたい表紙さぁ、これアメリカのロードレースの写真でしょ?イタリアのプロレース走った人の名前使ってるのに失礼すぎる。この辺にも雑さが(笑)

出版された1988年と言えばバブル真っ最中。ボーナスも立つほど出たし女の子にモテたいし何か受けることをやりたいなぁ、、、とすけべ心に胸をときめかせる男子が書店で手に取る一冊、そんなのだったのかなと

1988年 - Wikipedia
1988年の日本 - Wikipedia

参考までに日清のCM。金がうなるほどあったチカラコブルなバブリージャパンアズナンバーワンが拝見できますね

 

バブルと言えば、本書の巻頭カラー写真に気になるのが載ってました

1987。11.22。立川Showa Memorial Park

王者フランチェスコ・モゼールを招いてのSuper Criterium International’87

1977年世界選手権優勝、1984年ジロ総合優勝ほか、往年の名選手モゼールが87年に来日してレース?!

フランチェスコ・モゼール - Wikipedia

当時観戦した方のブログも残ってました。

スーパークリテリウム@昭和記念公園
引き出しの奥からこんな冊子が出て来た。1987年11月22日に立川の昭和記念公園...
懐かしのスーパークリテリウム87 サイン会篇
実家に戻って古いアルバムを納戸から引っ張り出したら、ありました、ありました。僕は昔からカメラというものにあまり関心がなく、写真を撮るということがめったになかったので、ひどいものばかりです。特に選手が走っているところは惨憺たるモノ。どんなカメ...

誰がプロモートしたのか分かりませんが、バブルマネーが動いてるよねこれ

これに先立って1985年にNHKでツール・ド・フランス総集編が放映されています。この頃には既にロードレースは一定の知名度があり、1988年に出た本書「ロードレーサーハンドブック」はそのフォロワーかなと思います。この本がきっかけではなく、世の中の雰囲気に合わせてこの本が出版された、ということ

1985年 NHKがツール・ド・フランス総集編を放映
1987年 Super Criterium International’87@昭和記念公園
1988年 「ロードレーサーハンドブック」出版

ツール放映とSuper Criterium@昭和記念公園はバブルマネーの影響が強いよねぇ。。

ざっくりした理解だけどこうかな?

1980年代のバブル景気、日本国内には大量のマネーが溢れるようになった。ジャパンマネーは海外の不動産やコンテンツ、タレントにも流れて行った。そのような中でNHKがツール・ド・フランスの放映権を獲得して国内に紹介し、あるいはプロモーターがフランチェスコ・モゼールを招聘して国内レースを開催した。ツーリング系コンテンツがメインだった日本のサイクリストにとって、カラフルでエキサイティングなロードレースは大きな興奮をもって迎えられ、日本のサイクリングシーンは徐々にレース系が勢力を誇るようになった。この流れが2020年代まで続く日本サイクリングシーンのコンペティション重視に繋がっている

なお、F1ブームやモトのレーサーレプリカブームも同時期で、明らかに関連性があると思うのだが自分は詳しくないのでその辺はどなたか詳しい人に譲ります

 

日本のサイクリングシーンがコンペティションに偏るようになったのはいつか?という疑問については1980年代中旬頃だ、と一応の結論を出しておきたいと思います。またそのきっかけは書籍ではなく、(当然複合的ですが主に)バブルマネーに支えられたTV放映が大きな影響力を持ったのでは、と

日本のコンペティション重視のきっかけ、旧い書籍を追えば見つかるかな?あるいはそのきっかけになった人物が見つかる?と思っていたのですが実際のところそんなものは無く、見つかったのはバブルマネーの奔流とマスメディアの影響力でした、と。ちょっと寓話みがありますね

(2024.8.28追記。コメント欄に当時のことを知る人からコメント付いてます。貴重)

コメント

  1. 通りすがりのピスト乗り より:

    市川さん関連の書籍?はニューサイクリングの連載とジロデイタリアについてサイスポに寄稿したのが面白かったです。
    サイスポのジロのお話で一番印象的だったのは「ジロはお金を稼ぎに行く場所」というくだりです。
    何で山岳賞スプリント賞が存在するのかが理解でき、レースは興行という当たり前のことが理解できましたね。

    自分も当時中学生だったので少し違うかもしれませんが、覚えている感覚として。
    まず当時すごいMTBブームでした。テレ東(微妙ですが)で夜の比較的深くない時間(22時前)の一時間番組のメインで特集されたりしました。あとトライアスロンブームってのもありました。フジサンケイが琵琶湖のアイアンマンに絡んでいたような。
    フジテレビのプロ野球ニュースでツールド沖縄の結果も流れてました。
    80年代半ば割と自転車は割とメジャーなコンテンツでしたね。

  2. 通りすがりのピスト乗り より:

    スーパークリテですが、モゼール以外の面々も凄いです。(88,89ごちゃ混ぜの情報です)
    モゼールはキャリア終盤でまあこの手のイベントに来ても不思議でないのですが、
    バリバリチャンピオン(ツール2勝、この近くだと88,89年サンレモ,89ジロウィナー、89年のツール大逆転劇は実はダブルツールも失敗なので本当に気の毒です)のローランフィニョン。確か父ちゃんファンデンプール(ファンホーイドンクだったかも)。アンディーハンプステン(ジロウィナー)とかジャンニブーニョ(後の世界チャンピオン2回)
    個人的にはこの時の熱さが持続できずグズグズで今に至っていると思います。

    96年のジャパンカップもワールドカップ(サンレモ、リエージュと同じ格)になったのですごい選手たくさん来てました。でも現場にいましたが、そこまで盛り上がってなかったです。今の方がお客さんたくさんいます(笑)

  3. 通りすがりのピスト乗り より:

    本文にコメントありがとうございます。

    ただ嘘は書いてませんけど正しいかはアヤフヤなのでネタ程度にして下さい(苦笑)
    アラフィフで色々記憶もあやしいので・・・(開催年間違えてますし・・・87、89でした)
    96年JCの話は確かです。今じゃ考えられませんが、普通にコースの中自転車で移動してました。

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